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プロフィール

中尾利彦

Author:中尾利彦
■プロフィール

中尾利彦(なかおとしひこ)

西南学院大学人間科学部社会福祉士学科卒
「笑顔のレシピを探すRunner」
・一般社団法人障害者自立支援協会 理事
・FUKUOKA RUNNERS 代表
・博多経友会 スタッフ
・Monkey Cafe マスター
・西南ビジネスクラブ 幹部

〇1989年1月12日、父が大好きな陸上選手、瀬古利彦選手からとったのが名前の由来。
父を喜ばせたいという気持ちから、高校では陸上部へ入部。
今となっては三度の飯と同じぐらい『走る』とは自分にとってなくてはならないものになっている。

〇19歳の時に高校生の時からの夢だったホノルルマラソンに出場し、年代別2位という成績を収める。
夢は描けば叶うと感じる。

〇20歳では自分の限界に挑戦したいという一心で阿蘇の100Kmマラソンに出場し9時間24分で完走。
自分の目標次第で景色は変わるということに気づく。

〇21歳の時に障がい者の息子さんがいらっしゃる母親のスピーチを大学の授業で聴き、福祉の分野でいつか会社を作ると決意する。

〇24歳、2年間勤めた家具の会社を辞め一般社団法人障害者自立支援協会の副理事としての道を選択する。

◆趣味
〇取材
大学生時代に企業取材サークルFUNに入り、人の人生想いに迫る取材の面白さに引き込まれる。出会いにより人生が大きく変わることがあると感じる。

2012年11月、取材を通じて
学生に活躍する福岡の社会人と出会う機会を作りたい想いでFUKUOKA RUNNERSを立ち上げる。
過去65名へ取材を実施。
現在も更新中。

◆特技
終電を逃しても福岡市内であれば走って帰る。

◆プチ自慢
「風が強く吹いている」という駅伝の映画に房総大学の一区のランナー役として出演。

◆好きな映画
『PAY IT FORFARD』
『最強の2人』

◆興味のあるワード
笑顔、健康、食、本、取材、マラソン、教育、旅、カフェ、コピーライター、仕事、福祉

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2013/04/27 (Sat) 19:43
家族のことについて語るときに僕の語ること

皆さん、こんばんは!

いよいよGW突入しましたね。どんなGWにするんですか?今度こっそり教えてください。

さて、今日は家族でランチに梅の花の定食を食べにいきました。

有難いことに僕の新たな仕事への旅立を祝う会でした。

最近休日でもゆっくりすることがなかったので家族で外食するのは久しぶりで、

両親が勤めている学校の話や、弟の大学で取り組んでいる建築やアルバイトの話、

そして僕の仕事の話をしながら楽しい時間を過ごせました。

今でこそ笑顔で食事できるようになりましたが、

僕が会社を辞めて、今の仕事を始めたい!と伝えた時は、
家族だけでなく大反対で一時期はちょっとぎすぎすしていました。


ここで僕の家族について語ります。

僕の家族は中学校で理科を教えている父と、

小学校で先生をしている母と、

九州大学の建築学科2年生の弟と僕の4人です。

両親がどちらも教師で山登りが好きだったということもあり、

小学生の時は夏休みに他県の山によく登りにいっていました。

父は寡黙で趣味は読書と走ること。夜の21時ぐらいには就寝し朝の3時に起きて作業するという真面目人間。
とにかく慎重な性格で、書類などのチェックには普通の人の2倍は時間をかける人です。

母は人づきあいが上手で、地域の小学生でピクニックに行く時などは、
小学校の先生をしていることもあってか、よくレクレーションをすることが好き。ただ母も本当に真面目な人です。

弟は僕と性格が似ていなくて、とにかく人の前に出るのが苦手だけど
一人でこつこつと物事に取り組むことが得意で、今は建築の道で将来仕事をするために頑張っている。見た目からわかるぐらい本当に真面目です。

そんな家庭だからこそ、両親は収入が安定している公務員を望んでいたし、

僕も高校の時までは教師になるものだと思っていました。

しかし、大学で沢山での学びや経験と人との出会いから大きく僕の夢は変わり

いつか自分の会社を経営し、障害者が働ける場所を増やしたい。雇用を拡大したいというものになっていました。

大学の時に一度伝えたことはありましたが、その時は家族は信じていませんでした。

しかし実際に辞めるということになると、

「絶対に反対。何考えてるの?うまくいくはずないじゃない。せっかく入社した会社なのに。」

と何度言っても認めてもらあえず、親の了解を得ない状態で会社に辞表を出しました。

そうすると両親は呆れてて、「もう何もしてやらないからね!!」と告げられ、

すごい悪いことをしたなと思うこともありました。すこしでも早く結果を出して安心させたいと思いました。

そんな矢先、僕が活動しているFUKUOKA RUNNERSという取材活動が西日本新聞に掲載されました。

一応、両親にはメールで報告していました。

そしたらとても嬉しいことが。

家に帰ると、その掲載されている日の新聞が5つぐらい購入されていていました。

寡黙な父が2月の寒い朝一番に買いにいってくれたそうです。

そして母からは、頑張りなさいという言葉をもらいました。

きっとこれから心配はかけるけど、絶対に形にしていつか家族に報告したい。

今の僕の一番の活動の原動力は家族です。

両親が山を登れる健康の状態の時に、もう一度家族で山を登りにいきたい。それを僕が招待したい。

ボランティアでは終わらせない価値のある仕事を創りたい。

言葉だけでなく、いつも頑張る姿から安心してもらいたいと心から思います。

地道ですぐ結果が出るものではないとわかっているけど、

一日でも早く笑顔を届けれるようにしたい。

これが家族について語るときに僕の語ること。

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